2015年1月8日木曜日

楓牙「俺の義姉さん」現実と幻想の前提が異なれば理想像も異なる

楓牙の新刊俺の義姉さん
前が去年の夏頃だった気がしたから今回は早いな、と思ったが勘違いで、兄と妹の事情は2013年6月発売で、およそ1年半ぶりの新刊だった。

人間関係において、周囲が求める愛想に応じてきた負担の逃避から自慰にふけるのはわかるが、本音の発露が「こんなにエッチな私」ってなんじゃそりゃ。
それは周囲への負担とは無関係だろ。
男に好かれるための台詞ならともかく、本音の自慰でそらないぜ。

セックスを拒まず美人だが自己評価が低く周囲に不満を抱かない女。
後書きで、楓牙が男にとって理想の女と書いてたので、そのつもりならしょうがないが。
たしかに、男にとって理想の女。
しかし、現実に女はこうあるべき、こうあって欲しい、が現実に無理だから、やりたいほうだいの幻想で描いても、制約の無い幻想では歪で、前提が異なれば理想像も異なる。

キルギスの誘拐結婚が全て犯罪だと取り締まれないのは、求婚が誘拐によるものでも、男が銃で脅し強姦するでもなく、結婚を説得するのは結婚生活を続けてきた年老いた女達であり、結婚後の生活は安寧だからだ(駆け落ちや強姦まで誘拐結婚に含まれ意味消失してるから問題なのだが)。
どこまでも理不尽に不満を抱かず反発せず男に好かれるのを喜んで適応し続ける女を芯があると美化しては駄目だろ。
行き過ぎた宮崎駿という感じ。
初期の作品は特にそうだったが、楓牙の好み、読者の好みはKeyと同じ層なのだな。
無垢と無能は異なるのだが、まどマギ的な。
結局、男の理想像はメンヘラということなのか。
メンヘラが偶像ではなく、現実の有害になってる時代に、もうこれは無理があるように思うが。

教師と生徒と男の子 女の子を文句なく面白いと思っているが、これらは少女漫画というか、言えば恋愛してるだけで過剰な苦難が無い。
恐らく、楓牙の売りは過剰な苦難で、エロ漫画にあたかも物語があるように錯覚して盛り上がれる、ということなのだろうが、例え男読者のために存在する女であっても、男に対して疑問を抱けば、それだけで関係を描けるし、関係を描けば物語になる。
白衣のカノジョも、男にとって理想の女を描いてるが、男への疑問や、男をわからない、という点で成り立っている。
大事なのは反発の程度であって、娯楽作品ゆえに約束された幸福、しかし、本意はよくわからない、あるいは反発するのがわかる、という点で教師と生徒と男の子 女の子を好きなのだが。

2話とも保身で妊娠を望む異常性があるから成り立つが、両思いと中出しは別問題だろ。
やり始めたら全部おkはエロ漫画の悪いところ。
エロ漫画にしてはエロ以外の何かがある、と評価するなら、そう売るなら、女の反発は必要で、それは物語にせよエロ漫画にせよ商品の必須要素を損なうものではない。

爆発落ちは本気なのかギャグなのか、これがわからない。

人気の程度はわからないが、amazonでレビュウ件数が多い順番に並べてみた。
出版順はこれ
兄と妹の事情11
教師と生徒と10
先生を見てください6
男の子 女の子5
せつない想い4
魅惑の扉4
摩子4
誘惑の扉2
夢見る少女1
姉と弟と1
俺の義姉さん0
この数字が売り上げと一致しているかは不明だが、兄と妹の事情が1位というのは。
あの画像コピペのおかげなのか。

内容が重複し飽きられない工夫なのだろうが、記憶喪失とか不治の病とかいらないから、2冊に1冊、性別、世代、あるいは願望など、ちょっとした事が当人にとって重要、というものを読みたい。

あと、1冊で1話にしてほしい。
セックスするキャラを変える必要はあるが、1冊で2話以上は設定と構図だけ撒き散らされてる感じで、損をした気がする。

それと、そろそろ教師と生徒とあたりをアニメ化しやがれ。