2014年7月22日火曜日

【町でうわさの天狗の子】最終巻がやっぱりがっかりな件

町でうわさの天狗の子(12)を読んだ。
思ったよりも良かったが、しかし、やっぱり途中から駄目になった所が継続し増長し駄目だった。

秋姫が言葉を失い化物になったところは良かった。
それまでは、獣耳や尻尾があるだけで、作品では深刻に描いてるつもりだが、人外が容易に受け入れられている世界観であの姿を苦しまれても、絵柄自体もそうだし単なる萌えキャラ化しただけで全く問題に見えない。
フルーツバスケットの猫ばりに酷いと思った。
設定や展開は良いのに全く化物じゃない。恐ろしくも醜くも無い。
最終巻でその先があるのを示し、大きなコマで瞬との対比が描かれていて、少女漫画にしては化物の深刻さもそれなりに出てた。
あくまで、それなりに。
覚悟の表情のみで、化物を見る瞬に何も言わせずに立たせてたのには燃えた。
わかってる!
しかし、そこだけだった。
瞬自体は目指せアシタカよろしく、ちゃんと格好いい。
でも、前後の発言、夢のくだりやら「はい。全部説明しますよ」の台詞や会話で台無し。
瞬の良さがある部分だけ、ダイジェスト的な良さでありCMは面白いのに本編がつまらない映画のよう。

例えば、瞬が助けるほどに強くなるには時間の前に、秋姫に付き合った天狗道から脱する必要がある。
しかし、その描写もなく未来の瞬が助けにくるって無理でしょ。
時間は無限でも、肉体は1つなんだから。
なるほど、こまけぇこたぁいいんだよ!!
しかし、瞬の愛がどれほど強いかを示すには、覚悟と時間と行動自体にあり、そこに至れない状況を作り出しておきながら、そこに至る行動を描写せずに、結果だけで感動なんざできんよ。
だったら、漫画なんて媒体じゃなくて、「やばい」「しかし、助けた」の2行の文字を書けば終わるんだから。
錫杖を振る瞬の腰の入ってなさ、踏み込みの甘さ、とか構成や構図、ネームとしてしっかり見せ場になっているのに、絵が情けなくて感動できない。

アナと雪の女王について、漫画家の水上悟志が凄く良いことを言っている。

町でうわさの天狗の子も似た問題を抱えている。
「俺は男だから…」とかうげええええええw
守る守られるに性別は関係なく能力の問題だし、この作品が売れた理由であり、過去作に劣る理由でもある。
こういうのが主流的な良さなら、フェミニズムなんて夢のまた夢だし、そらアナ雪に感動はしても行動はしないよね。
Yesterday,Yes a dayスケルトン イン ザ クローゼット雨無村役場産業課兼観光係はいずれも好きで何回も読んでいる。
ある側面の願望だけじゃなく、性別や年齢や個人の願望や立場を描いている。
恋愛だけの話もあるし、恋愛が核心の場合もあるが、それだけじゃない。
しかし、その軽さと重さの両立、好かれる好かれぬのを気にする前に描く作品の意味、そういうものを含み名実ともに1番長く続き、1番売れてきた本作がどう代表作になるのかを期待してたので、結局は媚びたら受けたというだけで悲しい。
天狗の子が他の作品の売り上げにどれだけ貢献したかわからないが、天狗の子ほどは売れてないだろう。
裸の女にしか興味無い男は、同じ女が服を着ても興味を持たない。
まず好かれるための要素を売れるように描き、実際に好かれて売れたのだから大成功だろうが。

そして、でたあああああああああ、最後のコマに台詞終わり。
しかも、核心の説明台詞。
瞬の告白は凄く良い。
単純で明確で短く、少し距離がある、見開き2頁。
最高の告白場面だ。
それに答えた秋姫。
問題はその後だ。
やりとりは1度で良い。
あえて、もう1度言わせるという演出ならば「大好きだよ」なんて言わせずに「もう1度言うね。瞬ちゃん…あのね…」で終われば、続く言葉が何かはわかるし読者には言葉が切れても作品の登場人物には続くという情緒ある演出になる。
それをやらない、1から10まで言い切る頭の悪さが、読者にあわせた意図したものかわからないが、過去作を見る限り、意図したものなのだろう。
恋愛が題材なら告白場面はともかく「愛を示すのに愛していると言わせずにどう描くか」が文学だろうに、読者の知能をどう想定したのだろうか?
漫画やアニメは子供が見るもの、と言われて久しいし、場合によってはゲームも含み「見る(やる)と馬鹿になる」とも言われるが、実際には見ると馬鹿になるのではなく、漫画が読者を馬鹿にしていると、この作品の終わりかたを見ると思う。

終わりかたにもう1つ不満が。
題名に無関係。
結局は2人の恋愛スイーツED。
この題名なら2人の後ろ姿は学校じゃなくて町であるべきだろ。
町と、町の人達と、中心にあの秋姫(と瞬)。
だから不愉快で気持ち悪いんだ。
所詮は思春期向けの恋愛漫画だった。
過去作が良いあまりに、少女漫画にしっかりとした情緒と品質を求めた自分が間違いだったのか。
それとも、アナと雪の女王や、それ以外の作品と同じく、売れるためには1から10まで説明した上で自己陶酔こそを礼賛するしか無いのか。