いつ死んでも良いように、所持品を処分し始めた。
合計で何十万円も費やした玩具や機材など。
そこで、自分が最後の最後まで残したいものは、(一部の)本と(一部の)楽譜と(一部の)CD、そしてピアノとDAWだけだった。
今更ながら、パソコンは現代において必須の道具であり、使える人間と使えない人間の差は歴然だが、それでも最後に眺めたり手にとるのは、紙や鉛筆の延長にあるものだった。
そういう意味で、自分は、かなり無駄な出費と学習をしてきた。
自分に出来ないからこそ、パソコンを利用して実現性が増えたのは間違いないが、死際の準備を始めて、結局は自分の手だけで構築したものと、デジタル技術を通した結果との差、あるいは不便さ、それを思い知る。