山田玲司の類は、環境問題は金にならず誰も興味がないから無視される深刻な問題、と言うが、実態は大きく異なる。
無論、実感の無い環境問題は無視されるのは事実だが、環境問題は金に関わらず深刻であり、そして金になる。
そして人類の大半が抱える問題であるのは、無頓着な過剰反応に甘んじる無能が多数派である、という事実。
テレビを見て一過性の売り切れを招く連中の事である。環境問題はダイエットと同じく、その程度の意味で金になるし利用される。何かを過剰に禁止や妨害に走るのも、程度をわきまえない点では同じである。
テレビ所持者がテレビを見る時間は1日2時間から3時間らしい。気晴らしの娯楽を持つのは自由だが、その時間を環境問題の資料を読む時間にすれば、世の中幾分は改善されるのではないかと思うが、テレビに限らず、無目的に反射して消費するのが人類の本性だとしたら、それは無理だろう。少数派ゆえに環境問題論者は過激となり溝は深くなり、それこそ山田玲司のような、環境保護論者から見ても的外れな極論で、自由や多様性を歌いながらコメントを封殺するような自尊心の延長に利用してるような手合いもいるし、何事につけ、真剣に取り組んでる人間だけが被害を受ける皮肉な現実。