2020年12月18日金曜日

ジョジョリオン(25)を読んだ感想 - ジョジョ至上最長であり最高傑作

漠然と異生物、異種属という扱いで人類が抱える問題、人類が挑む問題を描いてると思っていたが、具体的に珪素生物を持ち出すとは全く予想していなかった。

地球環境問題が含まれるが安易な人類批判は無い。地球環境には気を付けるべきだが、所詮は人類も地球(宇宙)の断片に過ぎないという自覚。

荒木飛呂彦のバランス感覚というのは素晴らしく、人類至上主義のようでいて、人類が至らない要素も自覚して山ほど持ち出して無力も描く。

常秀は大衆。悪人ではないが善行を重ねられず、愛情はあるが覚悟がなく、知ってるだけでわかってない事に無自覚。ある時点まで彼を相棒ポジションだと思っていたので、綺麗に扱われるかと思っていたが、その認識は甘かった。

また、本作は再起不能(リタイア)が無いのもあり、登場人物の生死が不明な事があり、常敏はレギュラなので結局は生きてましためでたしめでたしも考えられたが、透流(スタンド)が絶命を明言していて驚いた。荒木飛呂彦はこれまでずっと人気ある登場人物を簡単にあっさりと殺してきた。その点で驚く事は無いのだが、少年漫画時代は大衆娯楽として感動演出を持ち出していたのに、それを一切やめている。だからこそ成熟した作家の素晴らしい作品だと自分は思うし、同時に感動を見出すのではなく与えられるのを待ってる消費者(子供)には受けない。

広瀬康穂は自閉症スペクトラム。回想のキャンプのくだりは、完全にそう見えた。荒木飛呂彦が選んだ素材や考えはわからないが、そもそも人間の精神を描き、正常と異常を見境なく描いてきた作家なので、こういった問題にも興味はあるし学んでいるのだろう。仗世文の母親もそうだが、悪人ではなく未熟。そして、康穂の母親のくだりも、母親は悪人ではないが康穂を持て余してる。康穂の主張が当人にとってどれだけ深刻かまるでわかっていない日常にあふれたやりとり。岩人間という記号に釣られて見過ごされている同様の少数種族を、題材として大きく扱わずにしれっと舞台装置として軽く見せるにとどまり、しかし明らかに自覚的に描いている。

悪意なき未熟な大人と、覚悟もつ成熟な大人の対比をこれでもかと描いて、そして、後者は覚悟と挑戦があるからこそ短命に終わる、という形になっている。その点で、実は善人だったとか、実は悪人だったとか、そういうSave The Catは無い。最初から不愉快な点を隠さずに見せてるし、その上で仲間になるか、最初から愉快な点を見せて、それでも好きになれないのは何故なのか、本作はその問いの連続である。つまり、人生そのものを描いている。

石仮面や弓矢やエンヤは、これまでの宇宙(荒木飛呂彦作品)の断片に過ぎないという扱い。キャラ萌えを求める消費者には物足りないだろうが、作家が自分の世界を冷静にとらえてる、あるいは作家自身も世界の断片に過ぎないという自覚ある距離感で自分は素晴らしいと思った。

虹村の格好は明らかに承太郎で、その初期設定の割りに出番が微妙だと思っていたら、ここで回収してきた。

本作は歴史や性別や世代や超能力などの未知と既知の対立と競合が根底にあり、誰が強いとか戦闘そのものが装飾に過ぎないので、その点で戦闘が多くて退屈。

しかし、その中で、良かれと思った行動が被害を拡大し、だが被害者こそがそれは損害ではなく犠牲に過ぎないから続けるべきだと促す。つまり、荒木飛呂彦の提案と疑問について読者が考えるという形は、戦闘の有無に関わらず作品の本質として続いている。しかも、それが容赦ない。

登場人物は裏切ったのではない。それは自分が気づかなかっただけ。登場人物は最初から真面目だった。それは自分が気づかなかっただけ。本作は特に、未知に対する折り合いというものを徹底的に描いてる。地球や宇宙や歴史、旧世代と新世代、男女。しかも、理想と行動は素晴らしく、その結果は無残である事が多い。

本作は、登場人物を好きになる、好きにさせるものではない。ある例を示して、今回はたまたまこうだったけど、それを知ったあなたはどうする?どこまでわかる?どこまでやる?どこまで出来る? その問いの連続で読むのは時間がかかるし凄く疲れる。しかし、それは作品にとってプラスしか無い荒木飛呂彦の挑戦であり、それを自分は晩年にして最高傑作だと評価しているが、一般的にはそうはいかないようである。

行動の内訳と結果。歴史的な因果、運命的な偶然。とにかく色んな事がありすぎて読むのが疲れる。しかし、繰り返すが晩年にして荒木飛呂彦の挑戦は続き、むしろ最高傑作を描こうとしている。

少年漫画時代にも思想ありきの大衆娯楽を描いていた、軽薄なようで土台がある作家ではあったけれど、まさかここまでのこういう作家になるとは思いもしなかった。

完結が待ち遠しい。そして、次のジョジョも。

次は是非、もはやスタンドが存在せず、あるいは役に立たたず、戦闘も無いジョジョを描いてほしいし、荒木飛呂彦が目指しているのもそこではないかという気がする。未知の世界と覚悟の挑戦こそが主題であり、これまで子供向けに戦闘を描いてきただけなのだから。