最初のピアノから音が悪くて驚いた。ラジオEQ的な狙いなのかと思ったが、序盤は普通にピアノ1本の曲としてやっているのに、31秒までのmpと31秒以降のfに違いが無く潰しまくりで強弱が死んでる。綺麗に感じられる無意識の高域がまるで無い。後半のストリングスもピアノと同様に抑揚がなく耳障り。
曲調や演奏の問題ではなく、音質として。
音量は大きくないのに抑揚が無く強いだけで、水樹奈々のCDを聞いてるくらい気分が悪くなる音質。ただし、坂本真綾の音質は伴奏ほど人工的な感じが無い。歌も伴奏も等しく加工修正されているのに、温度差がありすぎて耳が痛い。
自分は、最初あまりに音が酷くて4小節ぶっ通して聞けなかった。厳密な解析をする前に感じた印象は500hzと2000hzが過剰。
そこで、恐らく坂本真綾の歌を最多録音ミックスしてきたであろう菅野よう子おかかえエンジニアの薮原正史の曲と比較してみた。
比較した曲は以下。
- tune the rainbow
- blind summer fish
- アルコ
- 虹色クマクマ
- 星と翼のパラドクス
- 光あれ
綺麗だけどドンシャリ気味の曲、高音ストリングスがあるが耳が痛くならない曲を選んだ。
以下がLogic Pro XのMatch EQを利用して独白と各曲を比較した結果。黄色い部分が比較曲との違い。独白の音が不足よりも飽和してるのがわかる。どの曲と比較しても共通してるのは、400hzから600hz、2000hzから4000hzが過剰。
20khzが極端に欠損してるのは圧縮音源(Youtube)の仕様で、これに関して関係者に罪は無い。
EQの加減は難しく周波数だけで善悪を語れないが、大きくわけて400hzから600hzの中域と2000hzから4000hzの高域が過剰。
自分が第一印象で500hzと2000hzと予想したのは、理由があり、そしておおよそ当たっていた。
この音域は等ラウドネス曲線的に持ち上げなくても人間が聞き取りやすい音。つまり、加工する前から目立って聞こえる音。そこをおさえて無意識に感じる音域を埋めるのではなく、明らかに聞こえてると自覚できる音域を更に過剰にしている。だから耳が痛くなる。
比較曲のEQで聞くと、後半のストリングスも抑揚の無い音楽的な退屈さは別にして、音質的には聞いても耳が痛くならない。
意図したドンシャリで明らかに高音が多い星と翼のパラドクスですら、独白ほど耳をつんざく音が無い。というより音はあるのだが調整されている。曲を聞いただけだと、独白のほうが高域が足りないように感じられるが、EQ的にはむしろ過剰域が邪魔をしてるだけで減衰が必要だとわかる。
驚いたのは、菅野よう子/坂本真綾/薮原正史の中ではかなり人工的な音質で潰した部類の光あれですら、独白に比べれば問題の周波数帯がおさえられている。個人的にこの曲はシンバルがきついが。
よく坂本真綾には菅野よう子だと言うファンがいるが、実際には菅野よう子のエンジニア薮原正史と離れた事のほうが余程の損失だったのではないか。
歌や曲の好き嫌い以前に、再生して彼女が歌う前の段階で不愉快な音質で聞くのをやめてしまうような人間が、それなりにいるのではないか。彼女を好きで、歌も良いと思っても、この音質に金は出せない。
彼女の売りは、見せ物にしては飾らぬ自然さと言った要素だと思うのだが、そして歌の音質は標準的なのに、伴奏の音質があまりに人工的で過剰で難聴量産機なのは何故なのか?
どうしてかつての水樹奈々くらいファン(消費者)が問題にしないのか自分には全く理解できない。作家が変わって菅野よう子を持ち上げる発言は散見するのに、音質を事実上確定しているエンジニア(薮原正史)には全く言及されず無視されている。
例えば、今回の動画もエンジニアの名前が無い。菅野よう子のコロナ動画はちゃんと作家や演奏者と平等に記載されてる。結局のところ、そういう事をしっかりしてる人達が作った音と、そうじゃない人達の音の差が出ているという事なのか。
坂本真綾はそれなりに発言権もありPに近い判断もあるようだが、音質に関する判断は誰がしているのだろうか? 例えば菅野よう子とは無関係に今堀恒雄や佐野康夫などとは仕事をしているが、演奏者と同じようにエンジニアを指定しないのだろうか?
誰が作編曲して誰が演奏しようが構わないが、ミックスは薮原正史を専属にしてほしい。と個人的には思っているが、坂本真綾やPが頓着していないのなら、気になる人は買わなくて結構、という事なのだろう。
いわゆる透明感と言われるような調子が売りの彼女が難聴量産市場に参戦している、菅野よう子や薮原正史がひたすら抵抗し続けてきた勢力に加担しているのは、壱消費者として悲しい。