2020年6月17日水曜日

原作のダークジェントリー全体論的探偵事務所 = ジョジョ+京極堂+スタートレック

ドラマは未見。
示唆に富むSF小説作家、そして30年越しの翻訳と聞いて、読んだ。
  • 序盤はジョジョ(荒木飛呂彦)
  • 中盤は京極夏彦(京極堂)
  • 終盤はドクターフーまたはスタートレック(文系SF)
超常の常識化。
小物の小金稼ぎを支える仕組みが壮絶なる超常。
主役が超能力(と思われる)を持ちながら超常への対抗策は調査と推理。
日本では2017年に翻訳されたが、1987年が原作なので、荒木飛呂彦はこれを読んでただろう。
彼の素材になったか、あるいは素材が同じ子供。
世界が全部ピンク色だと思い込むとか、机の35%は両性具有だという表現など、サイケ的でいかにもジョジョの誰かが言いそうな事。
  • ジョジョっぽい表現
    • 7歳の美少女に時間を守らないギリシヤ船に「くされフェリー」と言わせる
    • 女子修道院で乳首ピアスを話題にするみたいなひそひそ声
    • 1983年にアメリカズカップでアメリカの連覇を止めたオーストリア船のキールのような鼻
本作に限らないが、みんな大好き量子を舞台装置にしてる。
その議論をもとに、常識という認識がいかに常識外れであり、また無自覚におこなわれるか、しかも、その背景や装飾に母国の文化が扱われる。
言い回しも含めて、京極夏彦が京極堂の新作を書いたと言われても信じる程度には発想も描写も読みやすさも似ている。

終盤の大舞台が明かされて、その仕組みを利用して戦闘ではない解決がおこなわれるのがドクターフーやスタートレックぽいと思ったが、作者がフー脚本家だったらしい。

探偵はともかく、助手も馬鹿じゃないのは好感。
京極堂と違うのは、基本的に探偵が助手を馬鹿にしない。
助手を賢いと思ってるからこそ、助手の不備を契機に探偵が動くという形。

また探偵の人生観が良い。
超能力と思われる事を持ちながら、当人は真面目に否定して、無意識に無自覚に出来る(起きる)事を恐れて生きてる。
しかも、数多の子供向け作品と違い、その価値観をもとに作中でその超能力はいたずらに使われないし、本当に超能力なのか疑わしさも維持してる。

パフォーマーとMIDIが割と扱いが大きい小道具で笑った。
現在ではMacと言えばLogicだが、1987年と言えばLogicはおろか買収されるEmagicすら存在していなかった(前身の会社と商品は存在していた)。

素材から結論を出すのではなく、結論から素材を集めるソフトがペンタゴンに買収されたという話は、1999年に現実の軍事について書かれた超限戦で、湾岸戦争以降のアメリカは思想に合わせて兵器を開発運用しているという指摘と被り、驚いた。

翻訳の推理本にしては珍しく登場人物の一覧が無い。
あくまで探偵じゃなくSFという扱いだからだろうか?
400頁36章だが、章ごとに頁を区切ってるので読みやすい。

  • 示唆に富む表現
    • 馬はつねに、背中に乗っけている者よりもはるかに多くのことを理解している。毎日べつの生物に1日じゅう背中に乗られていたら、その生物についてなんの意見も持つなというほうが無理だ。そのいっぽう、毎日べつの背中に1日じゅう座っていても、その生物についてこれぽっちも意見らしきものを持たずにいるのはまったく簡単なことである。
    • 事実がどうであろうと、彼は信じ続ける。「信じる」とはまさにそういう意味ではないか。扉がそこになかったとしても、やはり「扉」はそこにあるのだ。
    • (自由について)すばらしい。文句のつけようのない計画だ。なによりすばらしいのは、計画を立ててしまったいま、それを100%完璧に無視してもかまわないということだった。
中盤以降、会話の乗りが少年漫画になってしまったのが残念ではあるが、0と1、未知と既知の埋めようの無い格差と隔たり。
超常と同じく実際に起こっている日常の不可思議(無理解)による日常と異常(超常)のひとしさ。
当時を最新としていない価値観に基づく現代としての描写。
日本において30年後の現在にやっと読めた作品だが、純粋な最新作と言われても全く疑いようの無い内容だった。