2020年5月22日金曜日

菅野よう子の凄さはコード進行にあらず



田中公平がtwitterで音楽理論の彼なりの応用を解説している。

https://twitter.com/kenokun/status/1262951516618571778

このコードと縦横の概念こそが、菅野よう子と、彼女の影響を受けた子供達(若い作家)が決定的に異なる点である。
菅野よう子の転調をコードだけで再現して、実に歌手が歌いづらそうにしてる曲をよく耳にする。
それは例えば、augとか。
aug自体が誘導するコードだが、augの前にaugに誘導する音(コード)、そして、augから次小節(コード)に行く前のaugと次をつなぐ誘導音(経過音)。
彼女の子供達にこれが無い。


1の次は2じゃなくて、1.1から1.9があり、コードだけの作家は、いわば1cm単位でしか区切ってない。
しかし、菅野よう子は1mm単位、つまり10倍の気配りを面倒がらず、その手間を恐らく無意識にむしろ進んでやっている。
だからこそ、彼女は実に恐ろしいのだ。


さらに言えば、菅野よう子をコード論(分析)だけでは不充分である。
何故なら、不協和音でも音量が小さければ人間は気にも留めないという生理がある。
例えばA曲を程よい音量にしてB曲を隣の家の会話程度の音量にさげてしまえば、2曲同時に流してもA曲だけを問題なく楽しめるのが人間の聴覚。
つまり、彼女は音程だけじゃなくて音量もしっかり支配してる。
目立つ音の何倍も目立たない音に気を使ってる。
これは彼女だけの特権や個性ではないが、だからこそ彼女が上層の音楽家である理由でもある。