2020年5月14日木曜日

菅野よう子の凄さを音楽の素人にどうやって説明するか

SNS上で見かけた面白い題材。

ちょっと挑戦してみた。

楽器や編曲をやってる人むけ

まず、ある程度の音楽知識を前提に説明する。

  • 60分の交響曲の[抑揚/展開]を3分から5分のポップスに圧縮している
    • → 1番と2番と3番(大サビ)で全部伴奏(編曲)が違うという手間を惜しまない。
    • → 彼女はフランス系の管弦楽が得意だが、この例は管弦楽に限らない構成の話。
  • 普通のコード、仮に「C」で良い場所に「C679#11」など、[開始/経過音/着地]に関わらず過剰。
    • → これ自体は彼女に限らず、何も珍しくない。
    • → 彼女の特徴は、この手段を、素人が初見で歌えるように伴奏で誘導する配慮と、玄人が気づく細かい展開の両立をしている点。
    • 近年流行のイキスギコードはこの配慮に欠ける(事前と事後の展開や歌手への配慮を無視した違和感だけを重視している)ので、自分は嫌い。
  • 絶対音感があるのでパクリ(聞いた音の反映)が早い。
    • → 彼女の作風の幅広さは、独創性というよりはコレに起因する。
  • 独奏を披露できる程度にピアノを弾ける
  • 仮歌どころか商品にしてるくらい自身で歌える
  • ある程度英語を出来るせいか、歌詞に英語的な造語が多数

つまり、作曲、編曲、作詞、演奏、歌(音楽に関する全て)が出来て、かつそれらを他人の魅力を活かすための補助(プロデュース)に徹する事が出来る。


楽器やコードが一切わからない人むけ

さて、ここからが本題。

自分なら、コードなど音楽知識が皆無な素人にどう説明するか考えた。

  • 「ドレミファソラシド」と誰でも歌えるメロディなのに、伴奏が全く「ドレミファソラシド」と違う事をやってる。
    • → 逆に、伴奏が教科書的(ドレミファソラシド)な展開なのに、メロがその外に展開(転調)してたり、常に平行展開してる。
  • 手品Aを見せると同時に、次の手品Bのタネを仕込んでる。そしてBに驚いて終わりかと思ったら、AとBを合わせた隠し球Cを披露して終わる。
    • → しかも、手品Aのタネは(音楽家なら)誰でも知ってるもので、その古典を丁寧にやってる点をお楽しみくださいという顔をして、Aとちょっと違うBの仕込みと展開をかねている。
  • 左手でチャーハンをフライパンで作りながら、右手で果物ジュースを絞りつつ、足でパンをこねて、そこらで売ってるファストフードと、誰もが知ってる老舗の味と、アフリカの奥地でしか手に入らない貴重な素材を、謎の人脈と行動力でしれっと入手して、それをまぜたチャーハンパン謎の果物ジュースセットという料理を出したら、それが実に食べやすくおいしい、みたいな。
    • ただし、その素材の在処でたまに揉めたりする
  • 登場人物のキャラ萌えが売りの漫画なのに、登場人物よりも背景の描き込みが凄く、それでいて背景が被写体の邪魔をせずに読みやすい漫画、みたいな。
    • → しかも、その背景の序盤に描かれたものが、終盤の伏線になってる場合が多い。

個人的には、彼女の特徴を「コード進行」「歌と器楽の融合」でしか語られない事に不満がある。

彼女の曲を、メロとコード(パクリ含む)を省いた時に何が残るのか

それは、1曲の中で過剰な抑揚の展開

彼女の影響を受けた作家は、たいがい上記の2点(コード進行歌と器楽の融合)だけを継いで、素人には歌いにくい唐突な転調や、音量は大きく派手だが平坦な曲という問題を抱えてる場合が多い気がする。

極論を言えば、メロも伴奏も無視して、単純に音量の上下(抑揚/表情)だけでも彼女の[配慮/工夫]というものが見えてくる。