日本で入れ墨をしたい、伝統技術を求めて海外から続々 日本の意識は変わるか
入れ墨自体が専門的な知識と技術を有するのは事実。
しかし、狩猟民族的な生活様式を離れ、かつ肌の露出にも幾らか規制がある現代社会で、何かしらの区別を目的とした入れ墨に何の価値があるのだろうか?
個人的には、染髪などにも言える。
自己表現などと言うが、それらにより自身の能力が向上するのだろうか?
髪を染めたり入れ墨がある事で、足が速くなったり知識が増えたり、当人の実行力が物理的に拡大するのだろうか?
思い込みで完結してるのなら、表現ではない。
先日VHSテープを巻き戻せというドキュメンタリを見た。
VHSの生産終了にあわせて仲間内でVHSの入れ墨掘って、それを自慢してた様子を見て笑った。
入れ墨自体が禁止されるようなものではない。
たしかに、基本的に当人以外に迷惑をかけるものでもない。
しかし、当人の思い込み以外に入れ墨が肯定される要素、肯定する理由があるだろうか?
漫画であるような、記憶障害の対策や、延命拒否の表明など、そういう法的/医療的な問題対策には有効だし、必要な手段なら実行すれば良い。
明確な主張であるのは間違いない。
だからこそ、反発があって当然なのでは?
周囲からすれば、当人が何を好こうと自由で邪魔などしていないのに、入れ墨のほうから目に入ってくる。
言えば、聞く気の無い話や音楽を無理に聞かされている。
そんなもの、反発があって当然では?
また、男が全員悪人ではないが、性犯罪の加害者は基本的に男であるのと同じように、わざわざ入れ墨をいれるような人間の傾向も、全てではないが嘘でもない。
もしも入れ墨の人間に犯罪人が少ないというのなら、それこそ入れ墨当事者が入れ墨の規模や人数など統計をとって、犯罪と無関係、あるいは非入れ墨と変わらぬと証明すれば良い。
仮に偏見だと言うのならば、それこそ少数派の愚かな印象論ではなく、必要なのは証明である。