- 合理的な狂気
- 盲目が聴覚を鍛えるように、肉体欠損が別の五感を向上させる。それを意図して起こすために自分の肉体を損失する狂気だが合理的な行動。
- テムジンが悪人ではない。彼の復讐は、規模をのぞけば納得いくものである。
- 狂気や以上な行動も人間の実現性として肯定的に扱ってる点は荒木飛呂彦に通じる。
- 感情の起伏が不安定
- 核心の人間関係の破綻/死を目の当たりにして泣き叫ばない、無頓着なのではなく鎮静した悲しみとして描く度胸。
- その割に、同情人物が些細な事に女々しい。
- 女が愛情とも仕事とも異なる割り切ったセックスを肯定/自立
- アサシンクリードと同じ問題
- 現代編がいらない
- 文字の残存により、幾つかの共有に感動し継承するのは我々読者であって、登場人物の恋愛のために実際に何百年の時間や何万人が死んだわけではない。
- もっと言えば、シュトヘルすらいらない。
- ユルールとハラバルの感情的な中心と、チンギスとヴェロニカの歴史的な中心が平行して描かれれば、それだけで充分に素晴らしい作品。
- 自分には、現代編もシュトヘルとユルールの恋愛も無駄でしかなかった。
- 謎の倫理観
- 手足の切断や子供の殺害すら容赦なく描写する
- しかし、セックスは本作における重要な要素なのに描写が甘く、ヴェロニカの乳首も見せない。
- 特に、時代の悲惨さを描くのに強姦や、あるいは男の避けがたい生理としての描写が多くあるのに、女(作者)に無関係な人間の目を気にしてる描写は、作品の前提を作者(出版社)こそが対立してる。
- 伊藤悠と出版社は人殺しは見せて良いが女の裸は見せてはいけないものらしい。
- シュトヘルが強姦された描写が甘いながら、ちゃんと状況として描いてるのに、妊娠しない。
- 父親が敵の誰だかわからない兵士の1人である子供を契機にユルールとどう生きるのか描くのかと思ってたが、そういう意味で女の体に起こる、当人が望まぬ変化に関して本作は何も触れてない。
- そもそも、女の体に男を入れるのは、女の意思とは無関係な女の負担を男も思い知れという願望であるし、その割に男同士も女同士も同性愛ポルノにしか機能していない。
- 男は背中で語る
- ハラバル/グルシャン/ジルグス/ショールガ
- とにかく兄貴分や爺が超かっこいい
- 登場人物の核心を後ろ姿で描くのが素晴らしい。
- 女が描く男のほうがハードボイルドである。男の自己陶酔や軽薄な願望の反映がない。
- 女による女への容赦なさ
- 美女だろうが幼女だろうが、等しく不幸になる/なれ
- 普通、こういう作品はユルールやシュトヘルすら死んでメルミが次代を語るのがテンプレだろうに、メルミあれで死ぬのかよ。
- ヴェロニカもあわれな老婆だし、あまりに容赦なくて笑ってしまった。
しかし、ちょくちょく感傷的でポエムで主題に不要な感情描写が目障り。
伊藤悠は、シュトヘルや下手したらユルールには興味なくて、ハラバル/グルシャン/ジルグス/ショールガのような成熟した男だけを描きたいのではなかろうか?
そういう意味で、男が描く白痴女よりも健全だし、若年にむけた下らぬ餌など不要で、現在の荒木飛呂彦のように伊藤悠の好きにやらせてみてはどうか?
というよりも、初の長編で、同性愛やら性転換やら恋愛やら英雄や大戦争やら、伊藤悠の全部を詰め込んだら設定が潰し合ってるだろってくらいこんな事になったという結果なのだろうか?