2019年8月28日水曜日

大家さんは思春期 - 肝心なのは純真無垢な美少女ではなく知足安分

欲しい本だけだと送料がかかり、一定額で送料が無料のついでに購入した大家さんは思春期
もともとアニメは既知で、もはや萌えを見られない価値観ながら、奇麗な絵と尺の短さと日常モノと文字通りの美少女とは無関係な生活の断片があり、見続けられた作品。
それで肯定的に記憶していたので、上記の理由で購入。

ここで本作と無関係な話をする。
この夏、自宅隣家の小学5年生の幼女が引っ越した。
引っ越しの挨拶に来たらしいが、自分はいなかった。
話を聞いた身内曰く、親の転勤が理由らしく、引っ越しがわかってしばらくは弟と泣いて大変だったらしい。
その彼女は、近所で顔をあわせると、よく挨拶をしてきて、かつそれじゃ終わらず雑談をふっかけてくる活発な子供であった。
こちらは彼女の名前を知らない程度の浅い関係で、近所は信用の担保にならない時代に、近所だからという理由で無警戒に声をかけてくるので、こちらが「気をつけろよ」と心配警告する程だったが、彼女がこりないので、月に1度も無い頻度で顔をあわせればちょくちょく他愛ない話をした。
それらの幾つかを想起して本作に思うのはそこである。

作品で扱われる幾つかの要素は現実にあるし、萌えキャラのような過剰な美化をしなくとも、程度はどうあれ愛嬌に嘘が無い人は存在する。
本作を読むと、ここまで美化しないと、それに近い、例えば自分が話した近所の幼女のような、些細な関係でそれなりにいい気分になる現実の近所付き合いでは不足であると暗に示されてる気がした。
作者や作品が否定してきているのではなく、本作の需要がそうであるという事。

これはからかい上手の高木さんにも同じ事が言える。
作品の初期は、読者の誰かは思い当たる出来事を話にしていた。
幾つかの話は自分も経験があり、それを一般化の形で見る面白さがあった。
しかし、徐徐にどこかの誰かの体験とは思えぬほどに逸脱/誇張した、思い出から萌え漫画となった。
自分はその時点で読むのをやめた。
萌えとは見いだすもので、あるいは些細でも経験する事で場合によって生涯の思い出になりえるものではないのだろうか。

さて、本作で良かったと思ったのは新聞
携帯を持たずTVも持たず、近所から貰う1日遅れの新聞を読むのが楽しいヒロイン。
これ自体は行き過ぎの設定だが、新聞記事の内容はどうあれ、大量の文字を読む能力、それを理解し応用する能力、これらを娯楽として毎日継続できるのなら利益しかない。
漫画を読むにも、内容の意味や構図とコマなど作者の意図や技術を気分ではなく手法として分析しながら読めば、1冊1時間から2時間はかかる。
ヒロインの純真無垢は明らかに誇張であり、程度によって気持ち悪い事もある。
しかし、描写される行動の幾つかは、ヒロインの純粋性とは無関係に時間(人生)を無駄にしない手段であり、萌えや感動ではなく利用できる要素だ。

本作を全巻購入して読む事はないだろう。
しかし、最初から絵は完成していて奇麗だし、萌えと称した売春でもなく、簡略で丁寧な撒き餌から幾らか人生の価値観を垣間見られただけで、これを読んだ価値はあった。
セントールの悩みの祖父を亡くした長女天使の話だけ毎回やたら面白い感覚に近い。