2019年5月9日木曜日

レイリ(6) 100%岩明均ではないからこその読みやすさと2つの違和感

岩明均は、あくまで文字による原作でネームを書いていないらしく、そのせいか、これまでとは異なる芸風が見える。

#後ろ姿で終わり
岩明均の作品は、作者と読者と作品にそれぞれ距離があり、あくまで他人事のように客観的に引いたような描写で、故に作品の世界風景か、メタ的に読者に向けた登場人物の顔で終わる。
しかし、今回は、題名の由来を強調した上に、大コマで後ろ姿。
違和感で笑ってしまった。
ただし、これは作品や室井大資の否定ではない。
あくまで、岩明均に焦点をあわせた違和感であり、作画が異なり岩明均以外の要素を含むのが作品の目的なのだから当然である。

#恋愛関係の言動がド直球
違和感なら、こちらのほうが大きい。
岩明均の恋愛は、関係が明白故に告白なぞ不要。
あるいは、やりきれない表情でしれっと聞く、言う。
つまり、作品の核心ではあっても見せ場ではない、という様式だった。
しかし、今回は大コマで台詞もでかい。
要素の1つではあったが恋愛漫画が如きで笑った。

#「修羅の刻」と「へうげもの」
虎彦が明智光秀を相手にしていた頃に、レイリは家康の後ろをとり穴山の相手をしていたのだなあと。
そしてへうげものでは穴山は出番なく2コマ名前だけ…。
複数の作品で矛盾なく両立できたり、あるいは作者の意図により扱いがここまで違うのも面白い。

#終盤の裸
どうして終盤で裸を見せたのだろうか?
岩明均は、序盤で悲劇、終盤ではかろうじて回避、というのが定番。
今回、レイリは思ってたよりも前向きである作品だと途中でわかるが、だったら侍に責められる展開はともかく、胸を露出する必要はない。
雪の峠ヒストリエの時代の悲惨を描くなら、強姦は必要な展開だったが、本作はそこまでは行かない。
読者サービスのようにも描いていない。
単純に、男女差の記号化だったのかもしれないが、わざわざ男が女を脱がせて小突くだけなのは、意味がわからない。

家康との絡みが多かっただけに、武田の後にレイリの人生をやるのか考えていたが、あくまで武田との関係で作品はさっぱりと終えた。