2015年10月6日火曜日

【あだち充】今更「みゆき」を読んだ感想



当然あだち充を既知だが、これまでまともに読んだ事がなかった。
アニメタッチの流行も理解できなかったし、仮面ライダー、戦隊モノ、少年ジャンプというテンプレ価値観だったので、断片的とは言え、かつての自分とあだち充が合わぬのも当然だった。
第20回 『東村アキコふたたびっ!~いいオトコ、いいオンナって何なの?スペシャル!!』


山田玲司のヤングサンデーを見ていたら、萌え黎明としてタッチより前のみゆき(1)が挙がっていたので、良い機会なので知識としてあだち充を読もうと、短く評判の良い作品から手を出して……
  1. SHORT GAME
  2. ショート・プログラム
  3. みゆき
……の順に読んだ。
意図せず2000年代1990前後1980前半と遡行した。
ショート・プログラムは1990年代にも至っているが、SHORT GAMEとの違和感は無く、この頃から既にあだち充節は仕上がっていたのだな。
良いキャラ-悪いキャラ、良い事-悪い事、これらを均質に描く冷淡な作風が、今の自分には合っていた。
誇張よりも構図でわかりやすく引き締めている感じがクリストファー・ノーランにも近いかと。
漫勉 浦沢直樹×藤田和日郎 2015911 『何度も何度もホワイトを入れていく藤田流スタイル。その秘密に迫る。』

ぱっと見では冷淡と熱血で大きく異なるも、実は似ているんじゃないかと思った、同じサンデー作家である藤田和日郎と。
あだち充は表情の乏しさ、藤田和日郎は表情の激しさ、いずれにしても均等であるという点で、実に似ていると思った。
作品の大事なところを心得て、登場人物にのめり込みながらもキャラと作者の立場や役割を把握してちょっと引いてる大人な感じというか。
BSマンガ夜話 「タッチ」 あだち充 (1997年)


連載期間や評価などを見るに、やはりタッチで作風が仕上がったようだ。
と言うのも、みゆき壮絶に気持ち悪かったから。

あだち充が描く漫画カウボーイビバップを読みたい

あだち充がCOWBOY BEBOPを漫画家したら、はまるのではないか。
絵柄は全く合わぬが、沈黙を大事にしたり、視聴者への距離があったり、熱い時にもちょっと引いてる感じ、登場人物の当事者性の弱い演出など、作風は似ている気がする。
実際にドンパチ描写は無くても良いから、B6以上の単行本3冊5冊くらいで完結する、酒と煙草が無い真面目なハードボイルド作品を描いてくれないだろうか。
個人的にハードボイルドに酒と煙草は不要だと考えている。
酒と煙草は自分に甘い自己陶酔であり、本来はハードボイルドと対極にある物だと思う。
ヨッシー ウールワールドSplatoonが子供向け装飾でありながら、大人に響く理由がそこにある。
これらの登場人物は、見た目が幼いが、作中の行動に迷いがなく、人間関係を過大評価せずに好かれるのも嫌われるのも意に介さず、ひたすら実現のために走る、英雄のそれ。
The MENTALISTがハードボイルドっぽくて段々と堕落していったのもそう。
良い人間関係すら復讐のために利用するし、現在の幸福よりも過去の不幸が勝り、幸福を求めるからこそ不幸にしかなれない。
当初はそうであったのに、現在の好き嫌いを過大評価して、視聴者にも媚びて、軽薄になってしまった。
底辺を救えるのが英雄だが、底辺に媚びるのは凡人。

みゆき

作者も作品も若く、完全に読者に向けてるぶん、気持ち悪い。
登場人物が下着と水着に固執っぷりが異常。
娘や妹や女を見てニヤニヤどころか、盗んだり公然と触ったり、寛容な時代の漫画と言えど、恋愛漫画でエロ漫画じゃないのに教師が拒む女生徒の身体に迷わず触ったり、ありえない、気持ち悪い。
今の萌えだって見たり触ったり過剰だが、真面目さが皆無だから、見たくなければ見ずにすむ。
しかし、当時は、おおらかな時代故に加減はあるも闇鍋で、1つで全部を釣るために見たく無い要素も多い。
特に、あだち充は、この頃はまだ抑揚が強いが、それでも場面で乗りが変わらない平坦さを持っているので、醜く見てないぶん、しれっと女を消費して女も受け入れて、あるいは望んでさえいる感じが気持ち悪い。
同時代のめぞん一刻(1)が、今でも語られる漫画であるのは、男向けご都合主義だが、女の本音があるから。
個人的に女神と英雄と呼んでいるが、ヒロインが男に都合が良いのは商品だからしょうがないにせよ、女もある程度は男を吟味して要求する事がある。
男向け女向け、いずれ消費者にあわせたご都合主義ではあるが、多数派であっても独裁ではない、というのが大事。
近年では白衣のカノジョを好きで、これは絶対に男を拒まずに清潔さもたもっている、ありえない女だが、応じても男の言動には無理解であり、女が受け入れる代わりに、男もまた関係を破綻させるほどの自己愛を持たず、多少はあっても独裁は無い。
女神が微笑むのは、困難を突破した英雄にであり、英雄の報酬だからこそ女神は尊い。
いつしか、英雄も女神も底辺に存在するかのような物になってしまった。
底辺を巻き込み、底辺を救うことはあっても、底辺のために生きているわけではない。
宮崎駿の女だって、男が英雄だからこそ素朴な女神なんて無理を何とか受け入れさせているのに。

もうエロ描いちゃいなよ


沖浦啓之の新作旅のロボからを見て彼にも思ったが、かつての梅津泰臣を見習って、1度本気で18禁を作ってみてはどうか。
時代がくだるほど性的な描写は減ったが、読者の要望と等しく、作者こそが美少女を描くのに固執している感じがする、意外と。
その点でも藤田和日郎と似ているし、義務というより使命になっている感じが桂正和的とも言える。
漫画版KITEなんてやってみたらどうだろうか。