これに尽きる。
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自分も、その1人だが、魔法騎士レイアースは当時、設定資料集や脚本集やらラミカードやらを買って、人生で初めて少女漫画を買った作品。
アニメから入ったのもあって、原作を読んだ時には「なんだこの絵は気持ち悪い」と思ったものだw
少女漫画の存在を知っていても、1冊を通して読んだのは初めてだった、典型的な少年漫画脳だった。
少年漫画が「世界をかけている」場合に、うしおととら、ダイの大冒険、デビルマン、ダークナイト、アベンジャーズなどなど、これら典型的で代表的な作品というのは、程度はどうあれ個人的な願望よりも世界を優先するもの。
関係や感情と折り合わせてまとめたら少年漫画になるし、どうあがいても感情や願望と乖離してしまうなら青年誌や映画になる感じ。
この説明は単純化しすぎだが。
鋼の錬金術師がレイアースのように少年漫画要素を取り込んだ少女漫画として売られて、売れていたら、自分はそんなに酷い作品だと思わなかったかもしれない。
レイアースも鋼の錬金術師もアナと雪の女王なのだ。
世界や能力は装飾に過ぎず、他者との関係は良いものに見せながら世界設定にも登場人物にも影響しない、ただの雑談の集合。
レイアースは男的な装飾の増強と、少女漫画の核心を隠していない点で、視聴者に優しかった。
CLAMPはレイアースに限らず、東京バビロンやXなど、少女漫画として個人感情を徹底しながら、天の邪鬼として男的な設定や要素をうまく吸収して女的な毒と男的な世界の折り合いが実にうまい人達だから、今でも売れてるのだろう。
レイアースは今見ると、少女漫画うんぬんとは関係なく、色色と酷い。
登場人物の出番口実とか、椎名へきるの滑舌の悪さとか。最後に「柱」無しで成り立つならエメロード以前の「柱」は最初からそれやれよ、とか筋書きの粗が酷いw
アニメは4クールもあるので、作画の乱れや中だるみ回が酷い。
音楽も、当時は管弦楽であれば豪華な印象だったが、今聞くと、曲の好き嫌いとは別に、編成と演奏の物足りなさがある。言うほど予算がかけられてないのがわかるw
デボネア戦の曲、作中で幾らか流用されてたのね。
原作だと何故にレイアースが英語なのかとか、メタ的な設定も作品で扱ったりしてたが、正直なところ今の視聴者を獲得するには粗が多すぎるから、2クールに練り上げて、最終回だけエンディング演出が違うとか、海と風の立場的な意味の補強とか、原作のモコナ要素も含んだアニメ完全版をやらないだろうか?
ダイアナ・ガーネットはゆずれない願いでアニソンを知ったと公言していたが、世間的にもこの曲=レイアースというところがあるが、個人的には、1番流れる回数が少なく、しかし作品の最後を飾るにふさわしい切なさと外連味ある光と影を抱きしめたままがもう少し話題になっても良いと思う。