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2019年10月16日水曜日

2019年10月4日金曜日

菅野よう子 vs 芥川也寸志 - Googleデータでわかった事

思いつきで菅野よう子と芥川也寸志をGoogle Trendsで検索比較をした。


データが2004年からしか無いのだが、それでもGoogle検索に限れば菅野よう子が圧倒的。
日本音楽界に貢献した大作家であっても、ある側面においてはこの程度。
しかも、どちらかを好きであれば、どちらも好きであるという対象の筈なのに。

ところで、2004年から現在までの菅野よう子検索で最大時期は2008年6月2009年6月の2回。
後者2009年6月が最大なのはわかる。
翌月(7月7日)に超時空七夕ソニックがあったから。
しかし、前年同月(2008年6月)に彼女に何かあっただろうか?
この時期、マクロスFが放送されてたくらいしか大きな事がなかったように思うのだが、逆に消費者にとってマクロスFがタナソニ並に凄かったという話なのだろうか?

2019年9月24日火曜日

菅野よう子 - ついに天皇に曲を捧げる

嵐が天皇陛下の即位を祝う祭典に登場、菅野よう子作曲の奉祝曲を歌唱
もう見出しで笑うしかない。
ただただ古典のおいしいところを手軽に提供してきた作家が、ジャニーズやNHKとの功績ありきとは言え政治的なつながりで、ここまで来るとは。

菅野よう子の過剰なsus4やaugは幼少期における芥川也寸志の助言が原因の1つなのだが、奉祝曲にaugが使われていたら芥川也寸志の話としても熱い。
ちなみに芥川也寸志は拝啓天皇陛下様の音楽をやっている。

2018年11月12日月曜日

菅野よう子の過剰なsus4やaugは芥川也寸志の助言だった

星と翼のパラドクスを聞いて、菅野よう子の過剰なsus4やaugについて考えた時、そう言えば、芥川也寸志との思い出にsus4について話していたのを思い出した。
実際には、ヤマハから発売された編曲の本で、以下のように書いてあった。


4歳の時発表会で、自作の「あさ」という曲を弾いたが、その時芥川也寸志さんが来ており、「CからFのコードに移る時、間に+5を入れてごらん」と言われて、音の世界が広がったことに衝撃を受けたことを、今でもハッキリ覚えている。
sus4ではなくaugだったが、いずれもTry Tone(導音)の話なので、意味は同じである。
彼女の過剰なsus4やaugや9thの多用は、常に動いて次の展開を容易に誘導するための意図だが、その由来は思っていたよりも古く、彼女が仕事をする前、まだ子供で純粋に音楽を娯楽としていた時代に、芥川也寸志の助言が、ただの客寄せ美談に終わらない結果をもたらしたようだ。