松本剛による漫画ロッタレイン。
30歳の男と13歳の女の恋愛話。
読む前は恋風やロリータのような、ある倒錯の肯定と破綻を描いた作品だと思っていた。
しかし、それは間違いだった。
ヤサシイワタシや家族のそれからに近かった。
恋愛が問題なのではなく、恋愛により発露する問題。
障害ある燃える恋ではなく、恋愛する前に深刻な問題/障害により追いつめられた男女は恋愛するしかない、という逆説。
30歳の男と13歳の女の恋愛話。
読む前は恋風やロリータのような、ある倒錯の肯定と破綻を描いた作品だと思っていた。
しかし、それは間違いだった。
ヤサシイワタシや家族のそれからに近かった。
恋愛が問題なのではなく、恋愛により発露する問題。
障害ある燃える恋ではなく、恋愛する前に深刻な問題/障害により追いつめられた男女は恋愛するしかない、という逆説。
主役男女2人は恋愛関係以外は極めてまともで、2人の周囲の人間が常識に甘んじながら狂ってる。
というより、周囲が犯罪とは異なる範疇で狂っていたら、それに巻き込まれた人間は幾らか逸脱せざるをえない。
【常識的な狂人】
本作は、男は母を/男は父を求めてるという古典的な形に誘導してるように見える。- 実子と妻を捨てて女と連れ子を選んだ父。
- 男をパワハラしてる上司と寝る彼女。
- 13歳の女生徒に気安く触れる男教師。
- 腹違いの姉に性的な要素を含めて依存する弟。
- 失恋が行き過ぎて女を追いつめる思春期男。
- 無責任な噂だけが楽しみな浅ましい女達。
しかし、それは様式の盲信だろう。
男は母と寝たいわけではない。
女は父と寝たいわけではない。
どれだけ精神的な依存や過剰な要求があろうとも、それが決定的である。
また、主役の男女2人は親を探してるのではなく、ありえない絶対的な存在、つまり神を求めてる。
本作は恋愛話ではなく、不遇な環境から脱却しえない2人が偶然にも同じ奇跡を目の当たりにしたと思い込み神を求める宗教話。
存在するモノの面影を追い求めてるのではなく、本来は面影が糧となるはずの親/社会/環境が子供(主役2人)に何も残さないどころか、それらに何か過剰な要求したわけでもない2人を追いつめるので、2人はそれらに勝る神を探した。
そういう話。
本作に宗教の話は全く出てこない。
しかし、人間が人生の中で何故宗教を見いだすのか、そして神が生き甲斐となってしまうと、どうなるのか。
個人的には沈黙や少年十字軍に近いと思う。
本作を読んで意外だったのは、男が描くこういった作品は、少女が神聖、または少女の問題を魅力と勘違いした男の暴走に終わる。
しかし、本作は13歳美少女の問題を30歳男は錯覚も盲信もしていない。
ある共通する喪失を契機に過剰に接近するだけで、男は彼女に欲望を抱いても要求はしない。
つまり、描写はあえて未熟/過剰な男だが、立場/関係/核心の自覚という点で彼は実に大人である。
不遇ゆえに馬鹿でも天使でもなく必死に生きてる早熟な女(子供)に応じてるだけ。
しかし、作中でも言及されてるが、早熟だろうが子供ゆえに不能も多い子供(女)の変化に男は失望するだろう。
それが親目線でないからこそ。
だが、女(少女)に振り回される男というにはあまりに単純すぎる。
女(少女)の判断が本作にはちゃんとある。
それは、結果的に男に向かうから、男のために存在する女のように見えるが、女自身も逸脱を選んだ。
ただ、ここが作品の意地悪さでもある。
そもそも2人の関係は逸脱なのだろうか?
2人が純真無垢や全肯定されるような存在/意味ではなく。
これが近親相姦や横恋慕なら周囲の抵抗も当然だろう。
しかし、年齢差に問題を見いだせるとはいえ、男が女を誘導や要求したわけではなく踏みとどまってるし、女もちゃんと相手を選んでいる。
13歳少女は恐らく男を好きなままだろう。
しかし、それは純愛などの類ではなく、早熟と不遇故の不信と盲信の自覚から、他の男を選んだ時の失敗や不安よりも、女を肯定せずとも過剰な要求(拒否)しない男のありがたさと選択の少なさから、男を選ぶだろう。
本作に主張や主題として明示されていないが気になった点。
13歳の美少女を好きな同世代の男。
現実に、この年齢は恋愛/性交に過剰だ。
しかし、妊娠する/妊娠させる能力を持ったのに、社会がその妊娠を許さない。
そもそも社会とは、確率的に個体が生き残るために集団を選んだ手段であるのに、親が未熟であるからこそ無条件に次世代(子供)の教育が必要なのに、社会はその未熟な親を、あるいは未熟な親から子供を守らない。
本書が描く問題はそこにある。
我々の社会は、早熟も未熟も許さない。
That Nightという恋愛映画がある。
これを見た時に抱いた違和感。
10代の妊娠から覚悟を決めて男女は早く自立する。
その判断自体は素晴らしいが、経済的に苦しい状況なのに他人事のハッピーエンドとして描かれていた。
外から見たら美しい恋愛、というメタ視点も本作にはあるのだが、この男女は将来必ず離婚するし、場合によって子供は虐待にもつながるな、と本作の結末を能天気には見られなかった。
そういう意味でロッタレイン主役2人の関係を直接/間接的に責める社会(環境)は幾らか正しい。
しかし、必要なのは未熟を責める事でも早熟を潰す事でもなく、成熟まで支える事ではなかろうか。
そういう意味で、ロリコンは正しいとか夢とか不幸だとか言う作品では全くなかった。
むしろ、恋愛以外の問題が恋愛に追い込み、恋愛を含めた負の連鎖を増産して、恋愛以外の救済を用意しないまま恋愛する者達を追いつめていく、そういう作品だった。
ピアノの話題で、素晴らしい演奏者や楽器や作曲の話になるかと思ったら、ピアノは天気/土地に恵まれたヨーロッパ主要国だからこそ可能で、アフリカや南米や中東のような湿気や乾燥や砂埃など過剰な国では維持出来ない繊細さや複雑な構造で、これらの国ではピアノに対して単純で強固な打楽器や弦楽器が発展して、それらが交錯する時代にジャズが生まれた、みたいな国の具体的な環境差を思い知った感じ。