表紙の写真は申し分ないのに。
出演作で日本未上映を紹介してあったのは良い。
これじゃネットで画像を探してたほうが堪能できるし、ここでしか見られない内容に乏しいなら、本が売れなくなるわけだ。
インタビュウもあるけど、写真は小さく、撮影環境を整えてないのでしょぼい。
前作のDVDパッケージは黄色ヘルメットをかぶっていたが、今回はそれを外しているの、しゃれてるね。
今年の9月。漠然とドキュメンタリを見たくなって、100,000年後の安全とようこそ、アムステルダム国立美術館へ
を借りて見た。オランダでは2008年に上映されるも、日本は2年後の2010年であったらしい。
前作は2004年から2008年まで。現実には2013年に再開館したので、DVDを見た段階では終わってなく、笑った。前作DVDを見たのは今年9月なので、見終わってからググったら、2013年に再開館したと知って、完全版が無いものかと思っていたら、今月に続編の予告が公開された。
個人的にタイムリだったので、前作と同じ上映館ユーロスペースで見てきた。時間で言えば、前作が4年間、今回が5年間と、前作で撮影できなかった期間のほうが長いのだが、内容は、前作と重複した内容が半分で、新しいのが半分の合計90分程度だった。
前作と同じ内容だが、偉大な美術館は遠い過去の作品ばかりじゃなく自分達の時代の作品も残すべきと20世紀の作品も展示するという議論や、作品の修正作業員の作業姿や、電気をつけて美術品の保管庫を遠景で全部見られたり、そういった美術館の抽象じゃなく場所としての裏側や、やっと手続きの申請が終わったが着工する業者のオークションが2社の予定が1社になり予想よりも高くついてもめた、など前作と重複しながら、前作の総尺117分より短いので、続編でこれらは省略されていた。
今回のBD,DVDが発売には、2本を見なくても1本で新旧全部が見られる完全版にしてほしい。特に、前館長が現役だった頃に、あらゆる組織から不満を言われて作業が進まない状態に「やる事があればどんなに難しくても頑張れるが、やることが無く待つだけの何年は苦しいだけ」というのが今回は省略されていて残念。
では前作に無く、今回の続編にあるのは何か。それは、前館長辞任後の新館長の活動。結局、個人が変われば仕様も変わるということか。既に終わっていた出入り口を、また前館長がもめてた時のものに戻し重複した問題を起こしたり、時間が無いのに試すのは簡単だと主張は無いが不満はあったり、かなり酷い印象だった。旧案と重複しながら少し違う新案では車椅子など障碍者むけの通路が無くなったのを叩かれていたり。会議の決定が末端に伝わってなくて仕様が微妙に変わっていたのが見つかりもめたり。
前作で「展示すべき」と議論しながら具体的な行動があまり見られなかった20世紀作品の入手は、今回オークションの映像があって(前作にあった?)、予算は30万ユーロだったが45万ユーロで他に取られたのが見られる。
このオークションは鑑定士と顔のない依頼人を見てるようだった。逆なのだが。
計画というのが、いかに人数が多くなり金額が大きくなるともめるのか、という反面教師に良い。10人がそれぞれ異なる不満を言えば、負担は10倍になるのだ。創作ではないので、何をもって完成もこぎつけたか決定的な場面はなかったので、もめてるわりに何故かいつの間にか完成してた、みたいな印象があった。美術館員や建築家や内装家など、再開館前に終わった仕事を振りかって、救われたかはわからないが報われた感じの答えで良かった。内装家の女、そら6年も泥沼に引きずり込まれたら最後のインタビュウに泣いてしまうのもわかるわ。
晩飯は、KOKIA - Falling in love with the orchestraを見に行った帰りにドネルケバブの露店を見かけ、食べたかったが結局は無視して帰ったので渋谷でさくっと食べられる店ないかとググったら見つけたケバブカフェ。値段は950円。うまかったが量が足りず、生地と米が少なく肉と野菜を持て余したので、値段を1000円で量を1割2割か増やしてほしい。米がもちもちしてたのは、素材なのか調理の問題か。露店のようなサンドイッチ型は無いようだった。露店でも600円で量2割増とかあると良いのだが。
日本人客は自分1人だけで、あとは入店するたびに「Hey, Brother」など店員と挨拶して英語だかどこ語だかわからん言語で親しく会話していて、客の姉ちゃんが無関係の客と店員の会話に笑って1こと2こと会話に参加していたり、なんか面白い状況だった。しかも、たまに「そうそう」とか「ええっと」とか「おまたせしました」とか日本語が混ざるのが面白い。ちょっとした孤独のグルメやMASTERキートン
気分だった。
編成 | 人数 |
---|---|
【Strings】 | 【41】 |
*1st,2nd | 22 |
*Vio | 8 |
*Cello | 6 |
*Conb | 5 |
【Brass】 | 【10】 |
*Trp | 2 |
*Horn | 4 |
*Trb | 3 |
*Tuba | 1 |
【Wood】 | 【8】 |
*各2本ずつ | |
Piano | 1 |
Harp | 1 |
Timpani | 1(4個) |
Bass Drum | 1 |
Percussion | 3 |
流石は売れっこというか、トルコ(海外)撮影だったらしいが、ミラクルジャンプ 2015年 1/30号の時にも思い、これまでの写真、静止画と変わらない。本人は動いて話すと、割り切った全力の愛嬌があり、男に好かれる粗と女に嫌われない粗を両立した実にしたたかな挙動を楽しめる。つまり、花澤香菜は笑顔以外の表情(行動)に優れているので、同じ角度と同じ表情では売りにならない。背景も服装もそれなりに変化しているのに、写真集を見終わると多様性に欠けた退屈な印象が残る。
今回、1番良いと思った頁。
この、商品として問題にならず、しかし個人的な小さな不満もありながら、それは本音ではなく見せ物として、だけど見せ物にしては少し崩れている、という感じ。花澤香菜、当人というよりも、周囲のスタッフによるパッケージの均質が問題だろうと思う。化粧をかっちりすると、奔放とは相反するし、花澤香菜のいつもの角度と表情では、背景や服装の多様性は意味が無い。この辺り、画一的であり、明らかに作られたパッケージでありながら、どこか自然な感じ、あるいは武装を感じさせない坂本真綾のパッケージ力というのはたいしたもので、美人じゃないけど凄い美人感のやりかた、顔や狙いなど傾向は似ていると思うし、花澤香菜(と悠木碧)のスタッフは坂本真綾の武装、パッケージから色色と学ぶことが多いんじゃないかと。
坂本真綾は率先してるようでいて周囲の手の上なのだが、本人がそんなの気にせず乗ってる感じで、花澤香菜は周囲の要求こそを第1として結果的に奔放な振りをしている、という感じの差なのか。
同日に届いた茅野愛衣「LETTERS」。
文通という痛い設定はともかく、写真集としてはよく出来ている。室内と屋外と、明るさも色も異なる状況で、焦点はあってない、色が飛んでるなと色色と、うげっと思うところもあるが、同じ場所と同じ服装でも陰影が異なったり構図が異なったり、それから、あたかも個人的な要素が発露しているかのように見せているものもある。
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この2枚。左は屋内の影や、雰囲気ある背景とあわない無表情など、商品としては決まったものではなく、問題ないからのせたという感じ。右は構図と光源と表情ばっちり。同じようなものでも、結果として幅が出来てる。
1冊目の写真集花澤香菜 写真集「KANA」を見ていないので知らないが、これまでの花澤香菜を見る限り、いつもの奴なのだろう。
そろそろ、中堅として名前と行動が表向き自由になってきたのだから「個人」が見える感じの商品が欲しいと思うのだが、それとも堀江由衣を目指しているのだろうか?
裸足や、髪かきあげなど、こういう商品でないと見られない要素はあるが、前者はえらく守られた中でも決まった段取り感で、後者はいつもの顔といつもの構図といつもの陰影で、消費者にとって見られる特別な感じがしない。当人に色気が無い、そういう商品ではないと言えばそれまでだが、どうにも花澤香菜という商品の振り切れなさがもったいないと感じる。