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2021年1月3日日曜日

双亡亭壊すべし 19巻 - もはや藤田和日郎をどう評価していいのかわからない

ここに至り、自分は藤田和日郎をどう評価して良いのかわからなくなった。

記号というには余りに重く、先が読めないというには段取り丸見え、手抜きというには密度が濃い絵、名作というには粗がある。

作品の入り口(年齢層)を広くした上で萌え消費や価値観の甘えを許さないがサービスは怠らないという、なんだこれ。

2019年9月27日金曜日

双亡亭壊すべし 14巻 - 終助詞「ぞ」と女の豹変

紅の裸が多数。
単行本だと小さくて不足。
帰黒の能力と態度が完全にかがり。


物語ではなく需要のために描かれてる帰黒だが、読者人気のための描写だけじゃなく善人の豹変を描いてるのが誠実。
また、ブチ切れると平安口調になる。
平安時代における終助詞「ぞ」の機能

軍人ではない。自衛隊だ。
主題ではないし、本作は政治の是非には触れない。
しかし、こういう点に言及してる意図は明らか。
それこそ序盤から首相を肯定的に描いたり、盲信せず気軽に批判せず問題点と理想像を提示する。

2019年9月26日木曜日

双亡亭壊すべし 13巻 - 「うしおととら」と同じようで異なる「体内の異物」と4巻からの伏線

藤田和日郎の著作双亡亭壊すべし
老いた作家の無理した少年誌の乖離に違和感があって途中で読まなくなった。
しかし、最新14巻の表紙が、ここにきて色気テコいれの居直りがおかしくて、続きを購入して読んだ。
ここでは13巻の内容のみ書く。


2019年4月7日日曜日

双亡亭壊すべし 12巻 - 藤田和日郎の描く女の裸で思う事

10巻の絵が雑。
そして、仲間展開をするにしても、あまりに週間連載的な速度で乗り切れず買うのをやめていた。
気まぐれに11巻12巻を同時に購入。
恐らく終盤を前に、謎に女の裸祭り。
藤田和日郎の絵は古いながら、女の顔も体もまだまだ充分に見られると評価している。
しかし、今回は、読者人気のためというよりも、藤田和日郎が老いて興味が薄まる中で能力を維持するために、あえて書いたように見えた。
あるいは、今の漫画家に対する挑戦だろうか。
激戦の代償や、精神投影で終盤に女の裸をだすのはわかるが、ただ服を脱ぐというが馬鹿らしくて笑ってしまった。

晩年の作家、荒木飛呂彦や富野由悠季や、そして藤田和日郎に思うのは、もう戦闘はいらないんじゃないか。
ある些細な発見に対する主義主張と視覚的な演出さえちゃんと出来れば、スタンドやロボットなど不要。

2018年1月21日日曜日

【双亡亭壊すべし】7巻の感想

  • 教科書のような自己犠牲的な登場人物達。
  • とにかく、英雄だろうが凡人だろうが、必要なのは覚悟である。
  • 土地を離れるにせよ離れられぬにせよ、関係を断つにせよ断てぬにせよ。既知を継ぐにせよ未知を求めるにせよ。
  • 少なくとも、失うものを得られるまで若者は生き続けられる優しさ。
  • 死に際の救い。
  • 御都合主義ではあるが、藤田和日郎は救われる者がいるのと同様に救われない者も描くので、そこに気をつけて読む。
  • 無理解の無意識な批判をせずに政治家を情熱ある人物として描いている。藤田の歳ゆえに諦観と理想。
  • 日本刀を振り回すイケメンに、顔を隠す美少女。恥も外聞もなき少年漫画としてのサービス精神。
  • それをサービス精神と言えるのは、作中には美少女などと等しく爺婆や大人が存在するからこそ、目立った上で一部にすぎない。
とにかく、説教というよりは、俺はこれだけ凄いんだ、しかし、これを超えてみせろ、という相剋。
老いたからこそ残す覚悟と、残ってるものへの執着と。
舞台設定はおろか、根本的な価値観が時代錯誤だが、結局は生きぬく極地を描いているわけで、そこに老若男女のいずれが許されることなどない。
まだ晩年という歳でもないが、それでも分野の主流ではないおっさんが、ここまで現在に中中見られない攻めた、しかし奇麗な作品を維持して描けるとは。


2017年10月24日火曜日

【双亡亭壊すべし】6巻の感想 - これは漫画ではなく藤田和日郎の自伝である

面白すぎる。もう頁をめくるたび1頁ごとに笑ってしまうくらいに、時代錯誤で破天荒で明確で情熱に溢れてる。

■萌えを萌え描写せずに萌えさせる

群像劇とはいえ、凡人枠での主役である凧葉の演説に同意して戦場に踏み出すのが、ダブルヒロインの紅とフロル。

本作自体に、凧葉の親友枠が無いのもあるが、本来こういった場面では、いがみ合っていた男同士の不本意ながら後につながる関係の同意や、くちで反発しても友情ある同意や、戦友的な関係の核心を描くような展開である筈なのだが、男の決意に真っ先に同意して危険に踏み込むのが女である、という点に、勇気や仲間といった男的な価値観に無理なく女を展開させて、嫌味なく異性過大評価せずにヒロインそれぞれに萌えさせるという、熱血ながらさりげなくしたたかな藤田和日郎。

テレパシに初めて感応する描写を、小さいコマながら、それぞれ女キャラでやってるのも、作品を下品にしない程度に女を忘れずにさしこんでいく老獪さに笑いが止まらなかった。

既に価値観や絵柄が時代錯誤である藤田和日郎だが、それでもあえて言おう。藤田和日郎の描く女は、文句なく今でも通じる美少女。

上2コマは今でもよくある萌え描写だが、左下の1コマが藤田和日郎節というか、古い作家と感じる。美少女に萌えさせた上で、その行動はある程度意図した好かれるための行動であると女が自覚的で、更に、それらを冗談として納得しながら、あきれながらも優しさや覚悟がある笑顔。つまり、母性。

今ではバブみと呼ばれ、あまえちゃんなんてものが出てきたが、萌えという点で同じ指向なのに、この両作品は明らかに違う。歳下の女に無条件で全肯定させる男の甘えと、母性を含んだ大人びた少女を自立した女神として崇拝するのは、全く別ものである。

その点で、藤田和日郎は富野由悠季がやったように、後者をしていて、現在バブみと言われるものは前者に当たる。良くも悪くも藤田和日郎が古いのは、どうしても意味や価値を求めてしまう事であり、だからこそ主流ではなくとも長きに渡り漫画家を続けられ、今でも読む価値がある。

このフロルは、敵でもなく闇堕ちでもなく、危機的状況を打破するために主人公を求めるテレパシ、奇跡展開なのに、そこでこういう風に描写する不思議。

■その他に思った事。

  • 絵に奥行きがある。
  • 挑む、向かう、という描写で、人物と場所を等しく描いて、人物の背中と遠景の対比をしっかりしてる。
  • 強さが精神論じゃなく、超常的な敵も、現在の人類の知識、科学の範疇であり対抗できるが、科学が至上なのではなく、科学もまた世界の1部に過ぎない。
  • ランゴリアーズに続いて、今回は惑星ソラリス。パクリとかではなく、もう見向きもされてない古い作品の強さを、どうにかして面白く残していこうという感じ。
  • 謎だった敵の目的が、しょぼいが、意味としては実に大きい。敵が生き残るのに必要であり、かつ人類にとって必須ながら不断は全く意識されない、海川。
  • 紅は凧葉にデレすぎw もう弟と同等になってるじゃねえか。
  • 配達の兄ちゃんに笑いが止まらなかった。醜くも必死な人間の生き様と、それに触発される熱い人、というのは古典的であり藤田節だが、今回は全くのモブで主役との人間関係もないのに、前振りなくいきなり弟のアレでぶちぬき2コマってw
  • ジョジョのタスクもだが、今回、聖剣的なものがなく身体がドリルなのって、かろうじてだが「自分の身体で戦え」ということなのだろう。
  • ジョジョも超能力の作品ながら、能力の発動は基本的に「自分の手で触れる、掴みとる」といった、行動と接触の危険を含んでいる。
  • 荒木飛呂彦にせよ藤田和日郎にせよ、描写だけ見れば突飛でも、根本的には「まず自分で見て触れて痛い目を見ながら学び進む」点で全く同じである。

思うに、もはや登場人物や物語とかではなく、今では失われ、かつても稀少ながら存在していた優しさや勇気や、なりふり構わぬ行動や人間関係、それらをいかに残し伝えるか。旧世代の意地や主張やら、この俺…藤田和日郎はこれまでこういう事を学び、今まさにこう考えて生きているが、もしかしたらおまえたちだって実は同じモノを感じてるんじゃないのかどうなんだ!?…と言わんばかりの漫画というより自伝。設定や描写の細かいとこは気にならなくなったが、もう娯楽漫画としては読めなくなった。それだけに、すっげえ面白い。

2017年9月1日金曜日

【双亡亭壊すべし】5巻の感想 - 少年漫画において少年の主観じゃなく少年を見て少年に残そうとする大人の意思

  • 凧葉はイエス=キリスト
  • 英雄の主観ではなく、周囲による英雄の描写
  • 爺婆も頑張って生きてるんだよ
  • 良い奴にも(読者にとって)嫌な所がある
  • 意味不明だが、とにかくすげえ事が起きてると思わせる画面(Christopher Nolan)
  • 美少女の幼稚と母性の両立。富野由悠季/宮崎駿
  • 荒木飛呂彦に通じる矛盾を気にしない展開
  • 設定と展開に謎があり推理や想像を迎合しながら、登場人物(人)を疑わせない
  • からくりサーカスで「裏切り枠」を失敗、荒木飛呂彦もフーゴで失敗した。核心を描こうとすると「裏切り」は不要と鳴るのかも知れない。
  • 子供を見る大人の視点
  • 場所、環境、土地に見出す意味
  • 70年代80年代のSFホラー系譜。残そうとする意思


2017年5月14日日曜日

【双亡亭壊すべし】4巻の感想 - 少年漫画の皮を被った大人の傷をえぐる少年漫画

世界観が、土着的なものかと思ったらSFになった。
それは意外だったが、作品の何かを損ねてるわけではなく、問題ない。

問題は、SF展開してからの、大人たちである。
この漫画は少年漫画なのに、藤田和日郎が歳のせいか、作品の根本にある「もはや取り戻せない過去の幸せ」がこれでもかってくらいに描かれる。
もちろん、そもそも文学において名作と言われるものに「過去」が条件ともいえる様式がある。
何故なら、遠い過去は子供にとって未知の世界で幻想的であり、大人にとっては取り戻せぬ幸福であり、とらえかたはどうあれ、世代をまたいで見られるからだ。

これが、本作において、きつい。
SF展開をしたところで、そのSF世界よりも日常世界に戻りたい、と騒ぎだす大人たちの描写が、きつい。
漫画だから、様式として流してしまう展開ではあるのだが、作品内で、大人たちは本気でSF世界を拒んでいる。
しかし、最後の最後で拒みきれた結果、実は戻りたいと言っていた日常世界そのものが、大人たちの願望、つまり、大人たちの嘘であった。
帰ったところで、帰る根拠として叫んでいた家や家族などは、作品内の戦いではなく、漫画として描写する必要のない現実にあるそれぞれ些細な人間関係の結果として、死んだり崩壊していた。

そして、それぞれに、過去の失敗や後悔を強く思い出し、悲しみ、自殺する。



本作としては、主人公の強さを説明するための前振り展開にすぎないのに、その材料として扱われている大人たちが、つらすぎる。
思えば、藤田和日郎はまだ若い頃からうしおととらでも、もう2度と戻らない幸福だった過去のために戦う大人、を描いていた。

藤田和日郎が大人である点として、総理大臣の描写がある。
本作は、総理大臣を揶揄しない。
主役じゃない故に過剰に扱われず、脇役でありながら、個人的な事情と国益とを両立させようと苦心しているし、それでいて小物もちゃんといる。
現実の不満を総理大臣に反映させていないし、というか藤田和日郎らしく、不満があるなら文句を言ってないでせめてその理想像だけでも提示してみろ、という大人の意地を感じる。

今ここに来て藤田和日郎は、また10年は残るかもしれない代表作を描いてるのかもしれない。