ここに至り、自分は藤田和日郎をどう評価して良いのかわからなくなった。
記号というには余りに重く、先が読めないというには段取り丸見え、手抜きというには密度が濃い絵、名作というには粗がある。
作品の入り口(年齢層)を広くした上で萌え消費や価値観の甘えを許さないがサービスは怠らないという、なんだこれ。
ここに至り、自分は藤田和日郎をどう評価して良いのかわからなくなった。
記号というには余りに重く、先が読めないというには段取り丸見え、手抜きというには密度が濃い絵、名作というには粗がある。
作品の入り口(年齢層)を広くした上で萌え消費や価値観の甘えを許さないがサービスは怠らないという、なんだこれ。
軍人ではない。自衛隊だ。
面白すぎる。もう頁をめくるたび1頁ごとに笑ってしまうくらいに、時代錯誤で破天荒で明確で情熱に溢れてる。
■萌えを萌え描写せずに萌えさせる
群像劇とはいえ、凡人枠での主役である凧葉の演説に同意して戦場に踏み出すのが、ダブルヒロインの紅とフロル。
本作自体に、凧葉の親友枠が無いのもあるが、本来こういった場面では、いがみ合っていた男同士の不本意ながら後につながる関係の同意や、くちで反発しても友情ある同意や、戦友的な関係の核心を描くような展開である筈なのだが、男の決意に真っ先に同意して危険に踏み込むのが女である、という点に、勇気や仲間といった男的な価値観に無理なく女を展開させて、嫌味なく異性過大評価せずにヒロインそれぞれに萌えさせるという、熱血ながらさりげなくしたたかな藤田和日郎。
テレパシに初めて感応する描写を、小さいコマながら、それぞれ女キャラでやってるのも、作品を下品にしない程度に女を忘れずにさしこんでいく老獪さに笑いが止まらなかった。
既に価値観や絵柄が時代錯誤である藤田和日郎だが、それでもあえて言おう。藤田和日郎の描く女は、文句なく今でも通じる美少女。
上2コマは今でもよくある萌え描写だが、左下の1コマが藤田和日郎節というか、古い作家と感じる。美少女に萌えさせた上で、その行動はある程度意図した好かれるための行動であると女が自覚的で、更に、それらを冗談として納得しながら、あきれながらも優しさや覚悟がある笑顔。つまり、母性。
今ではバブみと呼ばれ、あまえちゃんなんてものが出てきたが、萌えという点で同じ指向なのに、この両作品は明らかに違う。歳下の女に無条件で全肯定させる男の甘えと、母性を含んだ大人びた少女を自立した女神として崇拝するのは、全く別ものである。
その点で、藤田和日郎は富野由悠季がやったように、後者をしていて、現在バブみと言われるものは前者に当たる。良くも悪くも藤田和日郎が古いのは、どうしても意味や価値を求めてしまう事であり、だからこそ主流ではなくとも長きに渡り漫画家を続けられ、今でも読む価値がある。
このフロルは、敵でもなく闇堕ちでもなく、危機的状況を打破するために主人公を求めるテレパシ、奇跡展開なのに、そこでこういう風に描写する不思議。
■その他に思った事。
思うに、もはや登場人物や物語とかではなく、今では失われ、かつても稀少ながら存在していた優しさや勇気や、なりふり構わぬ行動や人間関係、それらをいかに残し伝えるか。旧世代の意地や主張やら、この俺…藤田和日郎はこれまでこういう事を学び、今まさにこう考えて生きているが、もしかしたらおまえたちだって実は同じモノを感じてるんじゃないのかどうなんだ!?…と言わんばかりの漫画というより自伝。設定や描写の細かいとこは気にならなくなったが、もう娯楽漫画としては読めなくなった。それだけに、すっげえ面白い。