漠然と異生物、異種属という扱いで人類が抱える問題、人類が挑む問題を描いてると思っていたが、具体的に珪素生物を持ち出すとは全く予想していなかった。
2020年12月18日金曜日
2020年10月16日金曜日
ジョジョリオン 24巻 - これまで崩壊を避けてきた荒木飛呂彦が描いた崩壊からの再生
- 家族の崩壊
- 古典的な父殺し
- この顔が描ける荒木飛呂彦
- スキャン臭くない背景
- 院長=レクイエム。擬人化された運命。
- スタンドの都合の良さ。見える見えない格差。ホラー映画。
- 戦闘は装飾。決断と行動と損失と獲得
- 石仮面とエンヤ婆。弓矢。
家族の崩壊。これまでのジョジョは、家族愛が絶対的だった。脇役や主題としての不幸な境遇は幾らでもあったが、少年漫画という事もあり主役の家族には絶対的な信頼があった。しかし、ジョジョリオンには既存と同じ荒木飛呂彦流の肯定的な要素がありながら、これまで最初から再生を描いていたのが、その前の崩壊を描いている。主役の不都合な家族愛に少し踏み込んだストーンオーシャンすら1話で既に崩壊が終わって再生から開始されている。
2020年6月7日日曜日
荒木飛呂彦 60歳の誕生日にジョジョリオンを通して見える彼の偉大さと不幸
https://www.oricon.co.jp/news/2163920/full/
荒木飛呂彦が60歳になった。
それを祝う声がSNSでうんぬんと記事なっていて、疑問と怒りが湧いた。
彼が老いた体に鞭打って最新最高に挑んでるジョジョリオンを、誕生日に言及したどれだけの人間が読んでるのだろうか?
旧来のジョジョと違う事をやったら難解と言われ、構成上の必要悪で旧来のジョジョと同じ事をやったら、やっと面白くなってきたと言われる彼の不幸。
これまで荒木飛呂彦はジョジョ全てを通じて、立場や能力を問わずに観察して考える大切さ、超能力があってもどうにもならない未知に自ら触れる勇気と覚悟の重要さ、それを変わらず主張してきたし、それはジョジョリオンにも通じる。
しかし、旧来のジョジョと荒木飛呂彦を天才だの大好きだの喚く読者に、ジョジョリオンという未知を観察して触れる者があまりに少ない。
彼の黄金の精神は読者に届いていない。
スタンド戦、突飛な台詞、ラスボスが誰かなど、ジョジョにおいては主題では無い。
生まれた環境の理不尽と向き合い切り開く人生。
超能力は箸や鉛筆と同じくらい人類にとって当然の事で何も特別ではなく、逆に箸や鉛筆を使うというのは超能力に等しい人類の実現性。
個人の感情や人格より、あるいは人類よりも重要なことがあると自覚しながら個性と人生を見いだし発揮する行動。
ジョジョリオンは、これまでの若く未熟だったジョジョの軽薄さを否定しながら、1部から続くジョジョの核心を継いでる、現時点での荒木飛呂彦の最高傑作である。
しかし、旧来の肯定派読者やアニメ視聴者に全く届いていない彼の作家としての不幸。
もしも荒木飛呂彦の誕生日をめでたいと思うのならば、おめでとうと言ってる暇などなく、ジョジョリオンを買って読み、その素晴らしさを自身の人生に反映させる事こそが、何よりも彼への祝辞ではなかろうか。
2020年4月28日火曜日
ジョジョリオン #23 - 旧来のジョジョっぽくてジョジョリオン最高傑作派としては物足りない
- わかりやすい覚醒とわかりやすい戦闘。
- 旧来のジョジョっぽくてジョジョリオン最高傑作派としては物足りない。
- ただし、敵味方の人間関係を断定できず、対立理由は少年漫画の単純な善悪2原論ではないという点ではジョジョリオンを維持している。
- 展開が激しく、結果はどうあれ覚悟と挑戦を描くのが荒木飛呂彦なので、少し前の展開や設定を捨てるのはいつもの事だが、憲助の死(っぽい)前振りを忘れてないか心配。
- これまでカーズ,アンジェロ岩,ローリングストーンズなど、ジョジョで石(岩)になるのは敵か否定的な要素だった。
- 本作ではジョジョが石になるのを選んだ。
- SBRでは、多次元の同一人物が理不尽に協力しあっていた。
- それを踏まえて、自分は以下に予想していた。
- 本作は多次元のジョジョ同士の対立、自己犠牲を選んだジョナサンに対して、同じ手段で全世界の理不尽な救済を選んだ院長(ジョジョの誰か)だと。
- また、服装がデッドマンズQの吉良吉影っぽかったので、吉良同士の戦い。
- この結果は、本作ではまだ明かされていない。
- 男が描く女は聖母問題
- 本作はヒロインじゃなく、既に母である女に聖母を当てはめてる点では、まだましか。
- というよりも、これまで聖母を守る作品だったジョジョが、聖母も黙って守られてるほどおとなしくない、というのがジョジョリオン。
- 聖母と決するのは美顔や慇懃な言動ではなく、言動が汚くても家族のために動く確信があれば聖母なんだよ、という主張。
- 血統と家族
- これまでジョジョは血筋や仲間や家族を題材にしてきた。
- しかし、過去話で設定が明かされても、基本的にはジョジョ家族(仲間)vs大ボス個人だった。
- 本作では、院長の存在が不明なままだが、家族vs家族という、これまでジョジョがやってるようでやってなかった問題。
- 今のところだが、絶対悪がラスボスではない。
- 個人的にはラスボス不在で何を見せてくれるのかを期待してるが、漫画の体裁上それは無いだろうか?
- ホリーの病状問題
- ロカカカの実験結果がホリーの状態なら、新ロカカカを入手しても、岩化が進むだけでは?
- 戦う理由が明確になるほど、戦う目的の前提が崩れてるような。
- これまでジョジョ連中やスタンドは特権だった。
- 本作ではその格差を減らそうとしている。
- 凡人が歩くのと同様にスタンドも人類の可能な行動の1つに過ぎない。
- そこが旧来ジョジョファンには不評なのだが、自分は肯定派。
- その上で、これまで礼賛されてきたジョジョ連中が、礼賛されてきた動機と行動によって「被差別側に進んでなる」という話なのだろうか?
- つまり、4部では放置されていた億泰の父のその後問題の結論を、ジョジョ自身で体現させてしまおうという荒木飛呂彦の試みにも見える。
- 荒木飛呂彦が素晴らしいのはドブネズミを美しいとは言わない。汚く望まれないという自覚の中で、多様性の1つとしてどう許容するか、またその立場だったらどう生きるか、主観と客観を並立させている。そこに天の邪鬼の自己陶酔が無い。
- ジョジョの世代交代問題。
- 旧世代の決断が、当時は正しくとも現代では違うという問題を、ジョジョはこれまで世代交代の作品なのにやってこなかった。
- それは、ガンダムやアメコミと違い、1人の作家の価値観に基づいているから、しかたない。しかし、荒木飛呂彦が晩年に至り、ついに自己反省と挑戦で行き着いたのがジョジョリオンとも言える。
元ネタとか設定の解明ではなく、荒木飛呂彦が商売を気にせず思想的に描けるような環境下で、何を選んで、現時点でどう描くのか、という点において。
もともと凄く古典的で直球なのに、好かれてる要素を容赦なく切り捨てられる珍妙な作家だったが、旧来ジョジョと違い、そもそも前提が不明な点では意図が読めずにドキドキしながら読める。
しかも、そのドキドキが「キャラが格好いい」とか「戦闘が激しい」とか「台詞が笑える」などの表面じゃなく、もはや晩年と言える年齢でありながら若年の男女にも好かれつつ、それでいて自身の過去作の甘さを自己否定しながら新しい何かを描こうとしている挑戦。
ジョジョという商品としては売り上げ的に負けるかもしれないが、ジョジョという作品において、本作は間違いなく現状の最高傑作。
気になるのは、加齢によりSBRの最終盤ほどの絵を超えられるのか。
それだけ。
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