2011年のイタリア映画。
ジャンルはファーストコンタクト。
ただし、Arrivalやコンタクトのようなガチ想定の宇宙人ではなく、宇宙人ポールやパーティで女の子に話しかけるにはなど、擬人化もしくは既知人類の比喩タイプ。
Arrivalが、言葉が通じない別種と如何にして通じるか。
また、相手の手段を学習した時に自分達はどうなるのか?
という問いに対して、本作は真逆。
言葉が通じたところで、内容の真偽、善意と悪意、本音や意図は、量子論的に結果が出るまでわからない。
作者もそのつもりなのだろうが、中国語を話すから中国人の揶揄という評価は、あまりに直球でつまらない。
AのようなB……これを楽器を楽器で、植物を植物で、同じ分野を持ち出すなら、もはや比喩ではなく比較に過ぎない。
しかし、本作は、イタリア(EU)と中国の他にも、男女の対比や、言語体系は外国から暗記しても生活習慣の曖昧なまま確信をもった表現はその国で育つ事で身に付く習性である。
などと、結構いろんな事を含んでる。
最近、英語の勉強で、落語家ばりの流暢さで英語の根本概念を解説しているごく普通の外国人・がっちゃんを見ている。
例えば、日本人は「今度来る新しい人」と「今度来る新人」を厳密な区別をせず、前者を砕けた/後者を格式的な意図で、または文字数や口数を減らしたいという理由や、はたまた区別せずに何となくで使う。
Arrivalでも、音声や文字を見聞するだけじゃ言葉はわからず、話者の状態や状況を前提を把握しないと理解できないのが言葉なのだ、と説明される。
つまり、言葉の意味を前提にしながら例外的な方法を日常的に使ってる意図は、生活/文化を知らなければ理解できない。
本作でも、最初は通訳者に隠したい情報があるから音声だけで通訳しろと言われるが、先述の理由、言葉の意味とは別に意図を知らなければ通訳できないと言って、物語は展開する。
では、同じ文化を共有すれば意味や意図は通じるのか。
それだけで信頼に足るのか?
ここが本作の肝である。
人類と宇宙人という対比と平行して、同じ土台を共有しながら対立する男女。
そして、異なる文化背景だが、ある程度は許容しあえるイタリア女とアフリカ女。
本作は1:1の2元論というよりも、0と1の組み合わせで10進法と同じように無限を扱えるという2進数を示してる。
では、地球人と宇宙人以外の組み合わせ、01ではなく10は何か。
それが男女。
結果的にどちらかが正しいという落ちになったが、それは物語の体裁であって、これを鵜呑みにするのは危険。
ただ、数字と同じように原理を理解するための単純化と考えるべき。
本作の男女比は以下の通り。
*当然、これは本作の単純化であって、男女を例外なく決するものではない。
また、2カ国語を理解できると、男的な外部不信がやわらぐ(鈍くなる)という点も面白い。
つまり、地球人/男女に加えて可能言語という属性が含まれる。
【男】 | 【女】 |
外を信用できない | 内を信用できない |
その場に無い属性/人類全体を前提にしてる | 個体/当人が当時に関係してる存在のみが対象 |
破壊的 | 我慢的 |
また、2カ国語を理解できると、男的な外部不信がやわらぐ(鈍くなる)という点も面白い。
つまり、地球人/男女に加えて可能言語という属性が含まれる。
ヒロインが超可愛い。
Francesca Cuttica as GAIA
結末はどうあれ、彼女は持てる能力を惜しまず、視聴者が納得できる形での善意と落ち度を持つ。
これがアメリカンホラーだと巨乳や露出など前提となるのだが、フランスやスペインやイタリアなど裸を惜しまない癖に、こういう線引きは大人で下品にならないようわきまえてるのが面白い。
彼女をGAIAと名付けたのは、結果がどうあれ、これが地球代表であって欲しいという願望だろうか。
Francesca Cuttica as GAIA
結末はどうあれ、彼女は持てる能力を惜しまず、視聴者が納得できる形での善意と落ち度を持つ。
これがアメリカンホラーだと巨乳や露出など前提となるのだが、フランスやスペインやイタリアなど裸を惜しまない癖に、こういう線引きは大人で下品にならないようわきまえてるのが面白い。
彼女をGAIAと名付けたのは、結果がどうあれ、これが地球代表であって欲しいという願望だろうか。
それにしても、80分の尺で、宇宙人が登場するまで20分かけてるのは強気。
この辺もアメリカとは違う感じ。
1/4がとにかく設定説明なのだが、特に日本人の自分としては、イタリア旅行気分の新鮮さと、Francesca Cutticaの美貌愛嬌で全く退屈な感じがしなかった。
というか、構図も構成も凄く凝ってる。
特に序盤は、彼女にとって不明な点は観客にとっても不明なので、彼女以外が被写体なのに、彼女の主観としてピンボケしたまま見せたり、娯楽作品としてもったいぶってる意図が明確。
だから前振りも苛苛せずに見られた。
この辺もアメリカとは違う感じ。
1/4がとにかく設定説明なのだが、特に日本人の自分としては、イタリア旅行気分の新鮮さと、Francesca Cutticaの美貌愛嬌で全く退屈な感じがしなかった。
というか、構図も構成も凄く凝ってる。
特に序盤は、彼女にとって不明な点は観客にとっても不明なので、彼女以外が被写体なのに、彼女の主観としてピンボケしたまま見せたり、娯楽作品としてもったいぶってる意図が明確。
だから前振りも苛苛せずに見られた。
電圧拷問の出力を示す音が1554(ラミミレ)と最後sus4(最初は9thかと思った)でずれてるのが現物がそうなのか、雰囲気で偶然に選んだ結果なのか不明だが、笑ってしまった。
新型コロナの被害数が、中国を上回ったイタリア。
イタリア入出国が頻繁で容易だから起きたのか、それとも別の理由なのか自分には不明だが、本作を見た動機は別だったのに、その件についても連想してしまう。
イタリア入出国が頻繁で容易だから起きたのか、それとも別の理由なのか自分には不明だが、本作を見た動機は別だったのに、その件についても連想してしまう。