2020年5月1日金曜日

FF7リメイク(FF7R)が示すスクエニ第2の「不気味の谷」


坂本真綾など音声の大量追加は素晴らしい。
しかし、画質と音声による向上で登場人物(エアリス)の言動の不可解さが際立って、幼稚園児のごっこ遊びを見てニヤニヤする大人が子供をあやすのではなく、当事者として幼稚園児に好かれようと混ざってごっこ遊びしてるような気持ち悪さがある。

  • 不断から無駄に目が笑っていて、いざ笑顔を見せる時に口が動くだけで目の表情が変化しない。
    • → 幼少期のティファやFF13の頃に序盤の列車のくだりの子供の笑顔など。
    • → 心から笑ってないのに自衛などでアヒル口する女と本質的に同じ。
  • 常に化粧を仕上げていて、常に男に媚びるためだけに生きてる女(ある意味で現実的な大人)が、ロリコンの金持ちにすりよるために小学生のふりをしてる気違いにしか見えない。
  • 頭身や服装など現実的な描写になったのに、その世界観にあわせた動作ではなく、コスプレ娼婦が客にすりよるような動作。
  • 新しい技術は投入されても、新しい価値観が下地に無い。
    • → 露出や暴力など規制だけが強くなっている。
    • → その癖、本作で女は本質的に商品であって仲間ではない扱い。






ペルソナ5は、女であるだけで受ける虐待は間違ってると男(主役=プレイヤ)が助ける(女の自立を補助する)のに、その後に、倒した敵と全く同じ性的虐待(萌え的セクハラ)を、むしろ主役(作者と消費者)が肯定して実行しているという、極めて不愉快な価値観を堂々と見せ場にして吐き気がした。
同様に、スクエニの単語や視覚効果だけは美しく、その内実は一方的な消費(差別や虐待)につながる、そこを疑問にも思わない価値観は今に始まった事ではないが、改めてスクエニ不気味の谷を見せつけられた。
両作に通じるのは、視覚効果に反比例して根底にある価値観が貧しい、あるいは傲慢で差別的で汚穢と言ってもいい。
ある立場から見た正義が、他の立場から悪なのが現実であり、それを出来てないという話ではない。
そもそも、それぞれの立場による価値観や習慣の違いなど知った事か、学ばず無視するのが平等であるという姿勢。

不気味の谷は、主に生物の肉体描写に言われる。
本作は、それも含めて、かつ、肉体や衣服や状況と全く結びつかない言動という意味的(精神的)な不気味の谷に溢れている。
しかし、これらが経済的に価値を見いだされている現実。