2020年12月19日土曜日

音楽の不自由は理論ではなく偏見にある

たまに、調から外れたりコードから外れたりする音程や展開があると、ミスだとか理論を超越したとかいう愚かな過剰反応が見られるが、ちゃんと分析すると調とコード以外の音楽理論(メロの理論=旋法)があり、それに従ってるだけなのがわかる。

そもそも、調とコードは管理しやすく単純化した結果であって、絶対的な基準ではない。これら2つに更に旋法というものがあり、西洋音楽は調とコードと旋法の3要素で出来ており、和声や対位法は1部分をコードと共有しながら、リズムは旋法の中にある。

この3要素のどれを土台にしても良い。調に合わせてコードと旋法を決めても良いし、コードに合わせて調と旋法を決めても良いし、旋法に合わせて調とコードを決めても良い。

あるいは、これら3要素の外にあるものを使っても良い。

男は女より筋力に優れているが、肉体労働は義務ではない。女は男より対人の機微に優れてるが母親になるのは義務ではない。

長期に渡る結果の歴史から、傾向や要点を理解するのと、それを盲信して絶対的な基準にするのは全く意味も結果も違う。

そして、男女の比喩を持ち出した通り、音楽に限らない。